吉祥寺東コミュニティ協議会

九浦の家について

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九浦の家の庭に咲く紫式部

日本画家、野田九浦画伯の屋敷跡にできたのが通称「九浦の家」です。緑いっぱいの庭と和風の平屋が印象的で、ほっと心が和みます。

野田さんが住んでいた頃の植栽を生かした、古き良き武蔵野を感じさせる庭が特徴です。

公設民営のコミュニティセンターで、武蔵野市民の誰もが自由に利用できる多目的施設です。日本画家の野田九浦さんのアトリエ跡地に造られたことから、九浦の家(きゅうほのいえ)と呼ばれています。本施設はボランティア組織「吉祥寺東コミュニティ協議会」により運営されています。

庭の四季

九浦の家の庭に咲く紫式部
九浦の家の庭に咲く花
九浦の家のサクランボの木
雪の日の九浦の家の庭

刊行物

  • 「40年目の九浦の家」

    吉祥寺東コミュニティセンター 開館40周年記念誌 2018年9月30日発行

  • 「吉祥寺東部便利帳」

    九浦の家と東部福祉の会発行 2016年改訂。東部福祉の会HPをご覧になるか、九浦の家窓口で必要ページをコピーしてお使いください。

野田九浦氏について

/ NODA KYUHO

野田九浦(のだ・きゅうほ)画伯は、本名を道三といい日本芸術会員(昭和22年より)、金沢美術大学名誉教授(昭和25年4月より29年3月まで同校勤務)、昭和33年からは日展の顧問を務めるなど活躍された。

画伯は、明治12年(1879年)12月21日東京の根岸に、野田鷹雄の三男として生まれ、父の函館税関長に伴い、明治16年北海道に渡り、明治28年当時画壇の逸材であった寺崎広業画伯(1866〜1919)に伴われて上京し、門下生となり、翌29年東京美術学校・日本画科選科に入学したが31年美校騒動で、寺崎広業画伯とともに退学、黒田清輝画伯率いる白馬会で洋画を学んだ。

明治40年(1907年)第1回の文展に「辻説法」(2等賞、文部省買い上げとなり、現在東京現代美術館に保管)を発表し、一躍花形となった。その年、大阪朝日新聞社に入社して、夏目漱石作の「坑夫」の挿絵を担当した。大正6年(1917年)退社し上京した。

大正12年(1923)吉祥寺東町に土地を購入し、翌年より死ぬまで当地に居住された。しかし昭和8年(1933)まで上根岸に、同年2月から19年3月まで、高井戸に画室があった。

画伯の作品は、歴史上の人物を主題にしている作品が得意で、堅実な仕事の底に、歴史に対する深い素養をそなえていた。

代表作に「恵林寺の快川」(昭和17年発表、政府買い上げ)などがある。その後、昭和40年春叙勲で勲三等瑞宝章を授与された。

6年後の昭和46年、11月2日午前0時45分、老衰のため、91歳の天寿を全うされた。

代表作

  • 「辻説法」(第1回文展2等賞・文部省買い上げ)
  • 「恵林寺の快川」(昭和17年発表・政府買い上げ)
  • 「山稼ぎ」(昭和30年第11回日本美術展)